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Jun 25, 23

点と線。Lumiereと好きなもの

#lumiere出雲#webサイト#日々のこと

突然ですが、私の趣味のひとつが《美術鑑賞》

出張など機会あらば時間を作り、あちこちの展覧会に足を運ぶこと。

古典主義や前衛的な現代美術より、多くのかたにも馴染ある近代美術がいま最も興味深いです。

アンリ・マティス Blue nude 縄跳びをする青い娼婦

約100年前後の時を経ても、現代の人たちに愛される近代美術

モネやセザンヌ、ゴーガン、ゴッホなどファンも多いのは、何処かに親和性を感じやすいのかもしれません。

先日、東京出張の後に行きたいと予定していたのがフランス画家《Henri Matisse》アンリ・マティス

日本にもファンの多いマティスの20年振り大回顧展覧会。

東京上野の東京都美術館で8月まで開催中

マティスを深く観たいきっかけは、2月の国立西洋美術館でのピカソ展でした。

赤の大きな室内 1948年

同時代に生きたピカソとマティス。《色の魔術師》言われるマティスの色遣い、グラフィックデザインのような色彩感覚と切り紙絵モチーフの逸脱したセンスに驚いたのです。

文芸誌ヴァルヴ23号表紙デザイン 1949年

このセンス…芸術家はどんな人物像か?

追憶しながら鑑賞します。

黄色と青の室内 1946年

抜群の芸術家のピカソより、個人的に惹かれたマティスは鮮やかでセンスが素晴らしい色合いだけではない

「温もり」、「人間味」、「奥行き」を感じられます。

写実的に着地せず、観てる感覚や感情を《色》に表現することを目指したマティス

画家になったきっかけや人生の動向と並行して鑑賞するとそこには想像を超えるものでした。

21歳で盲腸の入院がきっかけで、渡された絵の具からマティスの画家人生はスタートします。

様々な芸術家との出合いで、自身と向き合いながら変容をし続けるマティスの姿が目に見えるような展示でした。

最晩年には、南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂のスタンドグラスを始め総合プロデュースを手掛けるマティスの集大成の作品が現在も生き続けています。

腸の手術を終えて車椅子生活で御年80歳を超えての超大作

主祭壇用の礎刑像を制作するアンリ・マティス 1950年 エラーヌ・アダン

マティスは芸術家としてのきっかけは、病気に始まり最期まで病気の身体をも使いきって作り続けた作品

その時代の作品に直接対峙することのエネルギーの圧倒的さ。リアルでとても貴重な経験です。

若い頃から、「みる人の、鎮痛剤のような、肘掛け椅子のような気持ちの安らぐような絵を目指していた。」という言葉を残したマティス

夢 1935年

説明を知る前に私にも届いていて

観ていて惹かれるのはその通りと後で知りました。

実体験は、まさに僭越ながらささやかながら私がLumiereで訪れたひとに《渡したい》何かと一致した思いです。

街の灯火、見上げるとそっと見る人の心に「灯りがともる」場所を作りたい__

Lumiere=光、灯火

名前をつけたのに勝手にシンパシーを感じました。

洋服店ではあれど、音楽やお花、写真の様々なイベントも通じて

訪れた方の内側に「灯りがともる」…何かを明け渡したいとLumiereを名付けました。

Lumiereの「何か」が共鳴したら面白いなと思っています。

可能な方にはぜひ店頭で実際にみて対峙して貰えたら幸いです。

予想外の、「嬉しい出合い」

ライブやセッションのように呼応する感覚そのものを渡したい。

生きていると様々なことが起こる人生、

きっと光を見出す瞬間も訪れるかもしれない。

芸術家に励まされる…好きでいる事、正直である事

点が線と繋がった感覚です。

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